だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

前回の記事から1週間

結論から言うと現在22000字くらいです。

プロット番号6くらいまで到達してます。1/3と言ったところです。

 

現在着手している部分がきわめて感覚的で書きづらい。なんでこんな場面用意したんだろう、何がしたかったんだろう、そういう疑念が脳内を渦巻いて仕方が無い。進むしか無い、それは分かってるけど憂鬱になる。一行一行が洗練されてない。今洗練されていないということは推敲にツケを回すということだ。as good as possible で書いている。リアルタイムで展開する思考の質には限界があり僕のキャパで出来ることをしているから今日と明日と明後日と...の僕に罪は無い。ただ「いずれ苦労する」という事実が紙の上にあるだけ。でもそれだけで気が重い。

カートヴォネガット は書き始めると口にクレヨンを咥えて書いている気がしてくる、と言っていた(マジ) 不自由なものだ。文字だけで景色も感情も会話も創り上げようなんて馬鹿げてるよ。

と、まあ、そういう仕事なのであまり高望みせずAGAPで、「敢闘している」と素直に胸を張れるならそれで良いのかなと思ったりする。

プロット6、11、17、18、19を書いている間とりわけ強く「俺は死んだ方が良いゴミだ」と考えるはずだけど絶対書き上げます。

帰省する前になんとか、なんとかメドをつけたい...今はそれを祈りながら一行一行書くしかない。