だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

引っ越します

お久しぶりです。タイトルの通り、あと数日で現在の住居を離れ、同じ路線の別な街に引っ越すことになっています。それでなんとなく総括的な気分になったのでブログを開きました。でもまあ、あんまり長くは書かなくていいかな。

 

いま現在、僕は幸福です。色々な意味でそうだと思います。このブログを熱心に書いていた頃求めていた生活はある程度達成されたし、想像していた以上に素晴らしいこともいくつかありました。凡庸ですが、大切な人と日々を過ごしていけることは僕にとってかけがえのない幸せです。高校時代にも恋人はいたけれど、東京で一人暮らしをする中で誰かが自分に寄り添ってくれる心強さは知るよしもありませんでした。

友人にも恵まれたし、自分が確かにそこに腰を落ち着けていると感じられるようなコミュニティも(コロナであまり集まれなかったけど)できたし、そんな紐帯のなかにある自分を意識できるのは僕にとって喜ばしいことです。

 

なんだか世の大学生にとっては当たり前のことばかりかもしれないんだけど、しばらく人との関わり方を見失っていた自分にとって、そんな位置に再び戻ってこれたことは本当に嬉しいし、結構頑張ったねと自分を褒めてやりたい気分でもあります。色々と意識的に言動を矯正した部分もあったから。骨はちょっと折れました。

 

なんというか、自分が結局のところ何を抱えてしまっていたかというと、多分それは「あらゆる物事は解決可能である」というある種の傲慢さだったのだと思います。色々な場面でそう思います。ああ、昔の自分だったらこんなもの唾でも吐いて向こうにやってたな、って。例えば現代でも結論が出ない「貨幣の価値の変動はどこの何から始まり、どう世界全体に波及していくのか」だとか「神は存在するのか」「法とはなにか」「幸福とは? 正義とは? 善とは?」などなど。テーマというのはいっぱいありますよね。あるいは「知とは幸福か?」「再分配は正しいか?」、まあ挙げたらキリがないか。僕はかつて、そういうものについて簡便で独善的で一方的な結論を持ってきてしまうことで自己満足していました。解決不能であるならば、ひるがえって決断の(つまりは捨象の)速さこそが重要なのだという風に。決断できない人間は愚鈍であり、議論は空疎であり、そこから引き出せるものなど何一つない。とにかく早々と結論を出してしまって、それに向けて具体的な方策に移ってしまえばそれが一番いいではないか、と。ネットを見たりしていたからなのか、10代のうちに一度そういう(あえてはっきりと断ずるが)”浅薄な“功利主義のようなものにとらわれてしまったから、自分の中のナイーブな心性との折り合いがつかなかったり、学びを軽視したり、人生のいくつかの重要な機会を失ってしまうことになった。

 

後悔をしているとか、未熟だったと反省しているとか、そういうわけではありません。自分なりに世の中を観察して考えて得た結論だったし、ある程度実効性があったし、自分を奮い立たせてくれるわかりやすい指標でもあったから。でも僕はもう23になろうとしていて、もっと器量の広い、重層的な価値基軸というものを持ちたいなという風に今は思っています。そしてそれはより高いレベルでの「合目的性」と言えるのかもしれない。つまり自分一人が幸せになる、という合目的性を持つことで結局後ろめたさとか迷いとかが生じるのならば、世界の全ての人間が救済される地点を目指すことこそがやはり自他にとって理想的であって、その究極の目的から遡ってものごとを考えていくのが真なる意味での「合目的性」だろう、という、そんな感じです。そしてそんな立場に立とうとして初めて、ドストエフスキー村上春樹や、水島朝穂や、並いる作家研究家宗教者の苦悩の実体に近づけるような気がしています。もちろんたくさん勉強してたくさん世の中を見て、人の話を聞いて、自分でも社会を生きてみて、そんなもろもろからゴリゴリと視野を広げていかなければ土俵にすら立てない話ではあるのですが。なにせ究極の目的ですからね!少なくとも10代の僕だったら、人の話をたくさん聞こうとは思わなかっただろうと思います。それが4年間を通した僕の変化であり、これからの道筋を導いてくれるもので...あってほしい。

 

かなり抽象的になってしまいましたが、この部屋に住んだ4年間と、これからの目標の根底的な部分を話すと、ざっとこんな感じになるのかな。書こうと思えば色々とぐちゃぐちゃ書けるんですけどね、もうそんな歳でもないと思うのでやりません。19から22歳までの時間は、つまりこの部屋で過ごした時間は、決して僕の人生の中で明るい時期ではありませんでした。というよりむしろサイテーな4年間だったとさえ思います。まだ癒えない傷はあるし、クヨクヨ思い返すことも多いです。でもま、サイテーだったから悪いのかといえばそれは違うのかもしれない。この4年間がなかったら、自分の中の傲慢さが否定されず、あとあと大変な問題に発展していたのかもしれない。もしかしたら僕にとって必要な時間だったのかもしれない。

 

とにもかくにも全ては起こったことだし、あと数日で僕はここを出ます。次の部屋で暮らす2年間で自分はどう変わっていくのだろう? それを楽しみに梱包作業を頑張りたいと思います。今年は秋がなくていきなり初冬に突入した感じでしたが(キング・クリムゾンスタンド能力みたいですよね)、くれぐれも皆さん体調には気をつけてくださいね。僕は先日ヒートテックを購入しました。もう一着買おうかとも思ってます。また暇になったら更新します。

 

PS.シュー活はメンドイです。誰か代わりにやってください。