だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

『ゴッサムシティの平手友梨奈』を見た感想

物語という器には、やり方次第で殺人さえも正当に見せかけてしまうような力があると思う。しかしそれほど大きな力を味方につけるためには、作り手が真摯に物語と向き合い、演出の一つ一つ、セリフの一つ一つが映し出す抽象的な「効果」に注意を払って、殊更に思想を押し出すでない、何か現実の延長にあるかのような錯覚、この話は自分を監視カメラで撮影してその日常のエッセンスを参考に作られたのではないかという身に迫る説得性を持たせなければならない。孤独とか失恋とか、挫折とかいうイベントは強力な親和力を持つから、それが無いと物語を作ることは難しい。『プレーンソング』という、作者が「悲しいことを作品に含めない」信念で以って作られた小説は、大江健三郎から批判を受けた。村上龍は「伝えるべき情報を持っていることが小説家の資格だ」という。文学とは言葉、言葉とは情報である。情報は「恋の辛さ」でもよいし「この言葉の聞こえの良さ」でもいいと思う。何かがうまくいかないということには必ず情報が入っている。世の中うまくいかないことの方多いし、人間の精神の構造を見ても、うまくいかないことに注意を払うのだ。昨日のことを振り返る時、失敗したこと気まずかったこと、不満だったこと気に障ったことがまず浮かんでくるのではないか?

製作者は失敗を利用する、どんな媒体であれそうだとして、自分にも言えることだが、素人のすることが陳腐なのはそこに「失敗」以上の情報が無いからだ。せっかく挫折があり、失恋があるのに、それがストーリーと、人物と、うまく噛み合っていない。失敗の「失敗性」をうまく利用することができない。だから身に迫る説得性を帯びない。だから名作になれないということである。

ジョーカーにはたくさんの孤独があり挫折がある。この作品は「失敗」に満ちている。これでもかというほど失敗を詰め込んで、見る者に「どうだ? 可哀想だろう? どうだ? 同情してしまうだろう?」と次々問いかけてくる。だがその一つさえ、ジョーカーのジョーカーらしい「失敗」、彼の人生にしか起こりえない、そしてまた元を辿れば自分たちの人生にも起こり得るような、しかし現実ではやはりどうも起こらない気がするような、そんな絶妙で迫真的な「失敗」だっただろうか? 彼の「ストレスがかかると笑ってしまう精神疾患」がすべての失敗の根底にあるのに、笑われた側のキャラクターが抱く不快感に視点を移すことができる「まともな観客」がジョーカーの孤独をひしひし感じることが出来るだろうか?

彼は尺の1/3くらいで引き金を引いてしまうが、彼に引き金を引かざるを得ないほど窮迫した生活上の困難や絶望があっただろうか? それが無いのに人を殺したとしたら、明日殺しても、昨日殺していても、私たちが映画をみはじめた時点ですでに殺人者でも、おかしくないのではないか?

母親との暮らしに確実に存在した愛情が、母親の過去を知ったというだけで憎しみに反転し、余命いくばくもない彼女をベッドの上で絞め殺すような倒錯を、心根の優しいジョーカーが持つだろうか? 尊属殺人まで持ち出す資格がこの作品にあったとは断じて思わない。

 

私の危惧は、つまりアキバとかオウムのような大量殺人をこの映画は悪い意味で肯定している点である。人が内に持つパワーを現代社会で発揮することそれ自体の意義については村上龍をはじめ多くの芸術家が作品で主張しているし、人倫を超えたところにある、動かしがたい人間の動物性に目を向けることは私たちの避けてはならない課題だ。だがジョーカーの殺人はただの怨恨、それも極めてパーソナルな怨恨、申し訳程度に用意したゴッサムシティの階級差など何の言い訳にもならない。何やら街でデモとかストライキとかされているようだがジョーカーの住むアパートは僕の部屋より広いし、浴槽はあるし、彼はいい服を着ている。ふざけてるのだろうか?職もある。途中でクビになるがクビになるのも彼が悪い。悪いと決めつけられるほど彼が明確に悪い。ADHDの物忘れを「でも病気だから仕方ない」というのはいいが、それで人様に迷惑かけたら「ADHD可哀想、この人殺しても許されるよ君なら」となるか?

私は大衆のリテラシーを深刻に危惧する。これを真に受けてジョンレノンを殺すくらいならまだ、まだ『ライ麦畑』を読んで殺した方がマシだ。ライ麦畑は正当な主張を美しい形で表現し、マークチャップマン(だっけ)はその意図をある程度正確に読み取っているからだ。ひぐらしのなく頃には私は大好きだがヒューマンドラマではないし、人間の生に寄与する何かは持たないだろう。ジョーカーはひぐらしに似ている。B級ホラーで、1から100まで基地外キチガイを見る作品で、ストーリーはサイコロを振ってから出来る限り凹凸を均したように気持ち悪い。最悪ですおやすみなさい。

 

書くのがめんどくさくなりました。友人に電話して思いの丈を吐き出したいと思います。気が向いたら完結させます。無駄な2時間です。大衆は愚かです。僕はこの作品を超えるくらいの小説なら絶対に書けます。何か激しい失望と製作への勇気が湧いてきました。鋭意頑張ります。