だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

アンドレ・ジッド『狭き門』

読書感想です。

主人公ジェロームは知的で大人びた美しさを持つ従姉妹のアリサに淡い恋心を抱いていましたが、彼が10代前半だったある年の出来事からその想いは尚更強いものとなっていき、いつしか彼女への愛だけが自分の生きる力だという心理状況に変わっていきます。アリサもまた彼を愛していました。ならば話は早いのでは..と考えてしまいますが、そこにいくつもの試練がふりかかり真の愛とは何かを問い詰めていくことになります...

ざっとこんなお話ですが、話のキモは童貞諸君によくある(かもしれない)「女性の偶像化」なのです。ジェロームはアリサを愛し、また自分がアリサに愛されているという確信がありますが世の色男のようにアリサを落とそうと行動に出ることはしません。むしろ彼女と会わない間に(想像の中の)彼女が達している神々しい境地へ自分も達することが出来るようコツコツ勉学に励んで行くことに「愛の陶酔」を感じるのです。アリサもまたジェロームを愛しながらもその愛が叶わない、あるいは遠い愛の夢を想像しながら彼のいない寂寞を耐え忍ぶことに神への義務を果たしているという実感を得、キリスト的に清廉なあり方を貫こうとします。そうした関係性はアリサの「あなたと会っている時は、あなたがいない時ほど幸せではない」(意訳)という言葉に集約されます。お互いがお互いの幻想に恋をし、お互いの想う「美しい恋」を果たそうとする、現代的に言えば「恋に恋」してしまう罠に陥ってしまっているわけです。

100年以上前のお話ですが身につまされる思いで読み進め、「恋に恋」という状態を言葉の力で切り開いていくジッドの思考力に驚嘆しました。訳者の努力が大いに効用を成していると考えますが、10代の揺れ動く心情や根底にある素直さがよく現れている文章で読んでいて気持ちが良かったです。

 

 

火の鳥』『アドルフに告ぐ』も実は最近読みました。言うまでもなく面白かったのですがこう言う作品は面白さがネタバレに直結してしまうので感想は書きづらいかも。

8月に入りました。プールに行きたいです。何か読んだらまた感想書きます。