だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

まだ身体に酔いの熱さが残る

令和のカウントダウンをして以来3ヶ月ぶりに浪人時代に仲良くなった友人と上野で会いました。正面口で待っているとちょっと思い出せなかった顔が近づいてきて心が弾み、早口になるのを抑えながら久しぶりとか暑いとか平凡なことを交わしつつ駅から1.5kmほどのピザ屋さんに向かいました。彼女は初めに電話が繋がった時から相変わらず恋愛の荒波(オブラート)に揉まれていて、ダンスサークルの友人たちと花火したり見たり宅飲みしたり楽しい青春を送っているらしかったです。同じ研究室になった院生の一人と一夜過ごした2日後に同じ研究室のサークルの先輩と付き合って、自慢げに報告してきたくせにこの前別れて2ヶ月くらい、●●のバイトと同じだよと言われて反論出来なかった。エッコ・エッコというイタリアンのお店に入ってコスパがいいコースを頼みました。集団が貸し切りの如く騒いでてカウンターに座っていたのにお互いの声が聞こえないほどでした。

食べたあと当初の予定通り上野公園にお酒とおつまみを持って入りちょうどいい場所を探し始めたのが確か21:30くらい。ベンチはカップルが一個空けで座っていたりしたこともあり中々見つからなかったけれど、エレベーターに面した空間がとても良い眺めだったので地べたに座り込んでエモいエモいって言ってました。

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凄く、時間が過ぎていくんだなって感じた。電車が走っていくんです。乗っている無数のサラリーマンたちにも家があってこれまでの人生があって、縁で互いに繋がれていて、取るに足らない週末のひとひを経過している、あの場所から人の帰宅や繁華街への彷徨を見てる僕らは一瞬時間の外側にいて、内側の人々の行方を神のように覗いているそんな錯覚がありました。それから僕と彼女が東京と北海道500km以上の懸隔があった一年後にああして30cmの距離まで接近している人生のダイナミズムというのか縁の存在をひしひしと感じたし、両方が或いはどちらかが第一志望に合格(彼女は早稲田志望だった)している3通りの自分たちの幻影が重なっているような気もしたが、夜景が一番美しく見えるのはここにある1/4だろうとも思ったりした。令和のときは一瞬恋愛感情を抱いたこともあったけど「●●になら大体全部話せる」という彼女の言はお互いに斜め45度から介入した異物だからこそなのであって、僕が一般の男になってしまったら関係は崩れるだろうし、人倫を廃して会話が出来る相手は自分にとってもひどく貴重なのできっと出会い方からしてこういう関係であり続けることが運命なのだろうと妙に納得した。

いずれあなたに我慢しきれなくなってこのブログの存在を伝えたときのために書いておきます。すみませんでした。いつもありがとう。これからもいい友達でいて下さい僕もそうあれるように努めます。氷結とスナック菓子の代金を払ってください。