だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

恥じてなお生きる

あなたが僕を嫌っていると思ったきっかけは多分バレンタインデーのチョコレートだったと思う。傾いてしまったのか、箱の中で片隅に寄り、形が崩れた生チョコレートは美味しくなかったし、あのひしゃげた様子が当時の自分たちの関係そのものだと思えてならなかった。もはやあなたが僕を雑に扱うようになってしまったか、と、乾いた笑いが出た。それから2週間と少し経って僕たちは別れたね。

そのあと一切連絡は取らなかった。当たり前だが僕はあなたに会いたくなかった。

離任式の夕方、一応と思ってlineを送ってみたけどあまり話が通じなかった。自分と違って転居やら別れやらにそう拘泥していない様子だったし、僕も距離の取り方が分からなくてかける言葉が見つからなかった。

仮面浪人を始めた後、一人の女性に恋をしたけど、どうしようもないものだった。友達はいないし、片思いは実るとか実らないという次元の話ではないし、成績は伸び悩むし、毎日に絶望していた。そんな時、僕は一度だけ「朝起きたら泣いていた」ことがある。9月の終わり頃だった。その夢にあなたが出てきて、僕は何度も謝っていた。何度も何度も謝って、そのときの僕を動かしていたのはあなたに笑ってほしいという思いだった。夢の中のあなたはちっとも笑わなかった。

何故こんな辛い時の辛い夢にあなたが出てくるのだろう? 僕はすごく不思議だった。脈絡が無かったからだ。しかし夢の中の僕の感情は現実のそれに一致していた。すなわち、復縁はできなくてもいいから、俺のことを友達として好いて欲しい、少なくとも前みたいにかわいい笑顔を僕に向けて欲しい、と、そう思っていた。バレンタインデーのチョコレートみたいに、リュックの底に無造作に転がって放置されるような、そんな扱いはもうやめて欲しいという気持ちだ。

センター試験の1日目、採点はしていなかったが、漠然と、きわめて不安だった。現役の頃に比べ手応えが小さかった。1日目で稼げなければ僕はおしまいだから、すでにそのとき足切りとか京大とか残留・留年なんて言葉が頭を掠めてその夜はほとんど眠れなかった。朝方、やっと落ちた浅い眠りにあなたが出てきた。校舎の最上階で何かしらのポーズを取っていた。もはや覚えてはいないが、そのときも冷徹な言葉をかけてきた記憶がぼんやりある。はっきり言わせてもらうと、僕はそれを不吉な予兆だと解した。センター試験は失敗した。

僕はあなたを憎んだ。いつまでもいつまでも僕を見下して僕がさらけ出した色々な弱い部分を突いてくる人のようだと思っていた。転居した先でのうのうと暮らしているのだろう、僕とは違ってパートナーでもつくり、世間の大学生らしい“楽しい”生活を送って、僕との時間など消したくて消したくて後悔しているんじゃないか、そう思っていた。

然るべきところに入学した。片思いしていた女の子との未来は完全に、跡形もなく、何度自己嫌悪に陥っても足りないほど思い切り否定された。大衆対自分という構図を用意して自分を天才の位置に置かなければ生きていかれなかった。あなたのことは憎み続けていた。

冬になって、あなたに新しい相手がいるということをチラホラ聞き、僕は気にしないよう努めたがやはり傷を負った。幸せなんだろう「俺とは違って」 そんな使い古した言い回しをずっと使い、1年11ヶ月分のlineのやりとりはすべて消去した。

でも写真はどうしても消せなかった。あなたが無邪気に笑っている写真をアルバムから消してしまえば、僕の頭の中からあなたの笑顔がすっかり消えてしまう気がしたからだ。思い出に縋る男はたしかに醜いが、僕はまだ縋っていなければ生きていけないと、思った。

正月に家族で仙台に行った時に3年前あなたとそこへ来たのを思い出した。電車を調べるのに手こずったけど、なんとか仙台城に着いて、見渡した街はなんだか狭かったのを覚えている。成人式が近づいて、考えないように努めてもあなたのことを浮かべてしまっていた。

成人式の朝にあなたの夢を見た。学校の花壇の近くで別れ話をしていた。

「●●くんの恋愛は大それた政治家が口だけで終わるのに似てるよ」

「別れた後の仕打ちを考えたら私になんの文句も言えないでしょ」

ああ、たしかにそうだ。綺麗事ばかり並べて、なんだかんだと自分の都合の良いようにあなたを制御していたのが僕だ。

その意味で僕は今でも変わらない、とも思った。部活をやめて、あなたとのメールも21時で打ち止めるようにして、家族にも先生にも散々迷惑をかけた東大入試が失敗して、東京の私大に入ってもなお明確な理由もなく東大に固執し続け、結局このありさまだから。

そして一番痛ましいのは、2年も経って昔の彼女の夢を見るほど軟弱だということだった。あなたはたぶん僕のことなど意に介してなくて、会っても軽い挨拶を交わすくらいで、僕があなたの人生に影響を与えることなどもはや無いのだろう。それなのに僕だけがいつまでも引きずってくよくよ悩んでいる。そのアンバランスが耐え難かった。僕の2年間には全く、何一つ、成長するところが無かったのだと妙に納得してしまった。

 

だが現実は違った。同窓会が半ばになって、速いペースで肩を叩かれた時、まさかあなただとは思わなかった。あなたはすれ違いざま、昔人混みで待ち合わせる時に作った目をパッと開ける表情を浮かべて自分の席に戻った。懐かしい顔だと思った。情けない話だが、僕はそれをずっと待っていたのだ。

 しばらく話すうちに、なんだか2年前に戻ってきたような、駅前のカフェで二人座って話していた夕暮れのような、気分になった。あなたの隣に座ると不思議に安心感があり、会うまでは言うまいと思っていたことまで話してしまったし、スマホの写真を見せてと言われたら見せ、lineの履歴も見せてしまった。ちょうど、昔あなたが僕の携帯を奪ってそうしていたように。あなたが僕に注ぐ目線には、僕たちが積み上げた時間の文脈の堆積があって、お互いに見えないなんらかの素性を把握しあっているというような、不思議な連帯感があった。僕だけが感じていただけかもしれない。しかし都会の片隅でしばらく一人で生きてきた僕には、それがとてもとても嬉しかった。温かかった。救われる気がした。

 

僕の言葉の一つ一つに耳を傾けてくれてありがとう。笑ってくれてありがとう。あなたが笑ってくれると僕は嬉しい。

lineの履歴をみせてもあなたの知らない名前ばかりだった。時間が経つとはそういうことだ。あなたにはもうとなりに立つ人がいて、僕の知らない友人がいて、知らない街で過ごしているのだから。それは僕にしても同じことだ。あなたを疑い、あまつさえ憎んでいたことを今ではとても恥ずかしく思う。あなたが僕たちの時間を唾棄しているなどと、あなたのことも自分自身のことも、記憶のことも、すべて矮小化していた自分が情けない。それはある種の防衛機制だと、冷静な目では言えるかもしれない。僕はとても臆病で、あなたの不在を受け止めるためにそういう反攻が必要だったかもしれなかった。次会うときは、だから、胸を張ってあなたに会いたいと思う。また同じことで笑いあえたら、それにまさる幸せはない。