だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

本の感想

 暇すぎて深夜まで起きてしまうのですが、2時くらいになるとお腹減ってきちゃって、睡魔だけでなく食欲とも戦わなくちゃいけない非常に分が悪い戦を強いられるので、なんとか哲学関係の動画を子守唄にして入眠してます。別に哲学関係でなくとも良いんですは、適度に興味があり適度に退屈で飽きてしまいそうで、安直に解説が動画が上がったりする分野というと意外とすくないんですよね。

 

最近読んだ本の感想とか

限りなく透明に近いブルー(村上龍)

文脈を追うというよりは一文一文の美しさや創意に関心すべき作品だと思います。麻薬、セックス、暴力に満たされた日常を過ごしていながら、無邪気でみずみずしい領域を残している主人公リュウの内面のあり方はきわめて捉えるのが難しく思われ、それを抽象的な言葉にしてしまわずに直喩だったり直喩ですらないイメージの羅列で表現してしまうところが村上龍の天才的なところだとぼくは思います。増して処女作ですしね。扱う題材が我々の日常と乖離しているため、「あ、そうなんだ」と言うほかない場面が多い(薬物の快楽や苦痛を説明されても理解のしようがないですよね)ですし、そもそもどぎつくて無闇にリアルなため精神的に辛くて投げ出してしまう人が多いだろうと思われますが、こういう類型の代表作かつ限りなく完成に近いものとして読んでおいて損はなく思われます。

 

太陽の塔(森見登美彦)

有頂天家族四畳半神話大系をアニメで見たくらいで、森見さんの作品とはあまり縁が無かったのですが、ツイッターで回っていた太陽の塔の書き出しを魅力的に思って試しに購入しました。結論から言うと小説を読んで初めてボロ泣きしてしまいました。

あらすじは大体、女の子にフラれた主人公が半ばストーカーまがいに元カノを追跡しているとゴタゴタに巻き込まれ、個性豊かで女っ気が一切なく、知的で、お互いに一線を守りつつも深く信頼し合っている大学の仲間4人と協力したりしなかったりしてゴタゴタを切り抜けていき、やがてすべてを飲み込む「クリスマスええじゃないか作戦」を決行する...というお話です。のちのシリーズにも出てくる猫ラーメンとか、そもそも京大生が異世界的京都ではちゃめちゃをやるという筋の概形自体とか、森見作品のルーツを思わせるエッセンスが散らばっていて興味深かったです。ぼくがなぜ感動したのかというと、ストーカーまがいという単語からも推察されるかもしれませんが結構手段を選ばず、合理的なやり方で以って元カノをチェイスする主人公の考えてることや実際の行為が自分のものとよく似ていて、自然と感情移入が激しくなってしまいました。僕自身も強く主張したいのは、ストーカーまがいの行為って実際男の大それた純情が裏にあることが多いのは間違いないということです。主人公は非常に一途でした。それから俗世の人間と一線を画した自分、というものを強く持っている点も結構共感でき、半分自分が行動しているようなつもりで読み進めていたので、彼の元カノに対する未練がそのまま僕が去年好きだった人に対する未練とシンクロしました。一言でいえば彼はひねくれているので、この作品は良くも悪くも読者を選ぶ作品なのだろうと思います。実際女性の方でこれを読んだ方のレビューでは気持ち悪いと言う声も散見されギクリとしました。

 

③海の向こうで戦争が始まる(村上龍)

限りなく、の次作で、村上龍の第2作目にあたる小説です。この次の「コインロッカー・ベイビーズ」までの3作が、彼の仕事における「前期」に当たるらしいです。たしかに文章の質が4作目以降とは決定的に違っていて、「愛と幻想のファシズム」なんかはあまり好きになれそうにありませんでした(食わず嫌い)

処女作から更にパワーアップしたイメージの羅列は本当に美しくて、グロテスクで、読者を物語に誘い込もうと言う彼の強い作家性を感じました。

 

<ネタバレ注意↓ すみません!>

 

あらすじはビーチでコカインを吸う男女が、海の向こうに見える半島の街を見ていて、その街で暮らす何人かの人がそれぞれの日常の中で何らかのフラストレーションを溜め密かに戦争の勃発を期待する様子を追っていった末に、実際に街で戦争が起きてすべてが破壊し尽くされてしまう、それを二人がぼんやりと見つめている、というお話になってます。

 

 

<ネタバレ終>

話のキモは戦争と平和、ということです。戦争が始まったら人が死ぬし、つくりあげたものが傷つけられ破壊されてしまうから、当然戦争は起こってはいけないです、しかしこれは文明とか国とか、そういう大きな人の集合体を主体と捉えたときにのみ成り立つ限定的な論理ではないでしょうか。

個人としての人は、たとえ平和な世の中にあっても、病気とか性とか酒なんかによって不幸な目に遭ってしまうし逆に他人をあわせてもしまいます。むしろ平和な時代では、やられる人、弱者にあたる人が、強者から一方的にやられ続けてしまうという、つまり人の位置が固定化されてしまうという危険があるのです。あいつを殺したい、戦争が起こって欲しい、そういう欲望はいつどの時代にあっても、生きて行く限り私たちには不可避な感情です。じゃあ実際に起こしちゃえよ! と思って、作品の中ではありますが実際に起こしてしまったのがこの「海の向こうで戦争が始まる」なのです。すごく魅力的に思いませんか? 壮大な実験だったと思います。ただし物語らしい物語は存在せず、あるのは各々の登場人物のフラストレーションのあり方だけで、サイドストーリーの集合といったような形式になっているので、娯楽的な楽しみはあまり感じられないかもしれません。ぼくは書き出しの美しさとか劇的さで一気に惚れ込みました。立ち読みで冒頭だけでも読んでいただきたいと思います。

 

他にも「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか、「伊豆の踊子」とか「ライ麦畑でつかまえて」とか読んでいたので、後日記事を改めて感想を書きたいと思います。

 

熱海旅行は明日にでも2、3日目を書きます。

ただいま自前の小説の枚数が80枚を越えて、応募要件を人生で初めて満たした興奮の中におります。色々とつつましくプロットを立てたりした物語ではなく、元々言葉にしたいと思ってた去年一年間の仮面生活をダイジェストしたような作品なんですが、9/10から書き始めて1週間経たないうちに約32000字まで到達したのは驚いてますし、今まで自分がしていたことは何だったのだろうと思いもします。一つ間違い無いのは自分の創作意欲に嘘をついてはいけないと言うことでした。初めから去年のことを書きたい気持ちが強かったんです、でも一々受験勉強のこととか書いても気持ち悪いし、なにより去年のことを書くとどうしても自然に語り手の僕が去年の僕を擁護してしまって、読んでいて不愉快な内容になってしまうのがきつく、かといって形式を考えることをしないままほかの題材に飛びつこうとしていた点に時間浪費(半年)の原因があったかと思われます。あんまり気負ったことをいうとプレッシャーになって自分の首を締めちゃうので、とりあえず80枚を越えたと言うことだけお伝えしたいと思います。