だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

提出作品の構成がひとまずたちました。

先週の火曜日に春休みが始まり昨日で1週間になりました。初日から、計画していた作品の構成を立てる作業に着手し、さきほど結末まで一周しました。

これまで作った3つの作品は、原始的なアイデアの状態からいきなり100枚ほどの作品に拡大していたので、次の展開・キャラの動き/セリフ・文章表現と、小説を構成するすべての要素を同時並行的に考えながら書いている状態で進めていました。言うまでもなく満足できるクオリティにはならず、展開も、土壇場で考えていたせいで酷いものでした。村上春樹のように、そういう書き方をする場合、以後の推敲で理想とするところに作品を近づけていく必要があります。しかし僕は書き直す気力が持てませんでした。「にっちもさっちもいかねー」という気持ちでした。

最低限の構成を確定させ、少なくとも「次どんな場面を書けばいいか知ってる」状態にすることで、書いているその場面に力を集中させる必要を感じており、方法を変えました。

頭の中にある断片のイメージをとりあえず連続体に発展させ、その場面が何で始まり何で終わるか、場面の雰囲気や小物の存在など、詳細情報に頭がいくようにしておくということです。

たとえば

「部屋で●●と電話する」場面の時、そうメモしておいても、頭にあるのはせいぜい暗闇に主人公の声が響いている様子くらいです。

スタンドライトの光で浮き上がった自分の大きな影、開け放ったカーテンが風で揺れ、揺れる瞬間部屋に入り込む淡い月光、壁の隅のワイファイルーターの点滅、冷蔵庫の駆動音、玄関へつづく短い廊下の一層の暗さ(廊下の入り口は闇の中で大きくなったり小さくなったりして見える)。

ざっとこんな風にイメージを働かせるフェイズを構成の一部にしました。もちろん電話で話す内容、話題の順序、お互いの話し方、セリフ回し、そういうのも(別々で考えると言うよりは頭の中の映像として)考えておき、いざ書くと言うときには、その映像をなぞり現象の詳述だけに傾注するというのが理想です。結局行間というのはほとんど自由に広げたり狭めたりできるものなので、いざ書き始めて新しい現象を見つけてしまったら(例えばカーテンが揺れたと書くか、その皺が海の波に見えたことまで書くか?)未構成の部分に足を踏み入れることになり、こういうことは構成に書きつけた情報の荒さを鑑みれば絶対的に起こりうることなので、書き始めた後の負担感自体は、生で書き下す場合とそう変わらないかもしれませんが、最低限の質は保証されるはずで、それは僕の精神にとても良いです。笑

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こういう感じで頭が働くのに任せてぐちゃぐちゃ書いていったものが38ページ分になりました。文字の大きさ、隙間の取り方がちぐはぐ(字を同じ大きさで書き続けられないの実はコンプレックス)ですが、均してみると大体30(縦)✖️26(横)✖️38(ページ数)=29640字と、充分短編ほどの分量になっています。行間が空いているのでそこを埋めていけば、150ー200枚ほどの作品に仕上がると思います。

 

自分で数えておいてあれですが1週間で70枚は草。(村上龍は1週間で220枚と嘯いていますが、あれは210枚の第4稿を200枚の第5稿に書き直したときのことを指していて、3/4くらいは写経だったはずです)

疲れました。サークルの合宿を一人で準備しててその作業を片付けないとまずい時期になったのでそれを処理しつつ、全体のバランスとか、怠くて飛ばし気味だった場面の再考とか、そもそも文体やセリフが村上龍テイストを帯びているのをどこまで抑制できるか、そのあたりの調整をして、第1稿に着手できたらと思います。

 

こう書いてみると生活返上で家に引きこもってた感じですが、実はめちゃくちゃapex(新シーズン開幕です)やったり、仮面仲間だった先輩とご飯食べたり、サークルの納会に行ったりしてました。今後も、友人とボドゲカフェ行くとか、合宿とか、(当たったら)東京事変のライブ行って(ダメだったら)ディズニー行くとか、働いてないのに予定は何個かあります。でも進級前に第1稿は完成させたいので自分に厳しくメリハリつけてやっていきます。『さよならはエモーション』を作業用BGMにしてましたがあれは良いですね。

長期休みですが、体調に気をつけて、恙無く新学期を迎えましょう。何か報告あったらまた来ます👋