だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

ランダムな出会い

いつも電話してる友達から、「今日むりです」と言われたので、アップルミュージックのラジオステーションをタップしまくって、ランダムに再生される曲を片っ端から聞いていくことにした。明日の午前に前期試験の成績が発表されます。村上龍が言っていたが、昔は買う前にレコードを試聴できて、ジャケットやなんかをきっかけとする偶然の出会いがあったらしい。現代の、とりわけサブスクリプションサービスでは、すでに目的の曲を知っている状態で検索していくのが普通なので、そういう偶然の出会いは減ってきていると。概ねそうなんだろうなと思う。

で、今までランダムに曲を提案してくれる機能があるとは知らなかったのだが、jpopオルタナティブのラジオステーションで、触ると自動で色々と流してくれるものが見つかったので、チョコチョコ聞いていた。今夜はうまく寝つく自信が無いし、近頃同じ曲ばかり聞きすぎて食傷気味になってきているので、気がすむまで聞いて見ることにした。

 

試験が終わって1週間後の8/8から昨日までの3週間、自動車学校に通っていた。無事卒業できたのだが、スピードプランはそれなりにきつかった。この2ヶ月間、久しぶりにタスクに追われたし、最後に試験というものが待っていて、努力の多寡が自分の生活に直接影響する類の機会だったので、正直言って消耗した。まだ気持ちとしては夏休みに入っていなくて、明後日の本免学科試験に受かって初めて夏休み突入した気がするんだと思う。

腰を落ち着けられていないので、小説の構想は立っていないし、頭の中に言葉が浮かんでこない。この記事の文章も、音楽を聴きつつというのもあるんだろうが、割と苦渋しながら書いている。なんとかと閑暇から芸術は生まれる、という三島由紀夫の言葉は正しいと思う。学問とは頭の使い方が違うので、創作はまとまった時間が無いと滑り出して行かない。はやく学科試験が終わって欲しい...。

 

東京に戻ることにした。今度は友達との予定も組んだので撤回などはないはず。

 

6月までの熱意などはどこかに行ってしまった。現実生活が忙しくて、それを捌くことに精一杯のままでしばらく生活している。現実生活に圧倒されて、色々なものが疲労の霧のうちに飲み込まれて曖昧なまま老いていく、そんな怖ろしい人生をすでに予行練習しているというわけだ。今は僕の中のなにかが低徊していて、何かについて熱っぽく言葉を連ねる気力も湧いてこない。極端な喜怒哀楽もなく、植物みたいな生活をしている。コロナで友達と全然会えていなかったり、やることが多かったり、色々要因はあるんだろうが、とにかく考えが内側に向いてゆかない。仕方ないことなんだと思う。ぼんやりした憤りの感覚だけが薄っすら脳みそのどこかを浮遊している。俺はこの僻地にいて2ヶ月も机に向かえないとはゆめゆめ考えていなかった。ゆめゆめ、考えていなかった。