だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

心の琴線

「法曹の仕事を知る」という授業を取っています。全15回、実務に携わっている弁護士、検事、判事の方をお呼びしてお話をいただく授業です。当初は全員が早稲田のローを出ている人に固められているのが、恣意的だ金に汚いと不満でした(院への誘導だと)。しかしみなさんの活躍ぶりと仕事に対する情熱、社会正義を貫こうとする気高い精神を知って、氷が少しずつ溶けていくように「法曹」という授業の良さが分かりつつありました。そんな中、今日の授業で、6限(18:15-19:45)だけど本当に取っていてよかったな、と思うことがありました。

 

「私はですね、えー...某、国立T大に...まあその、河合塾で1年間浪人して2回受けたんですけれども、落ちてしまって。 ここに来た時はとても、いい気持ちは持っていなかった。斜に構えて物事を全部上から評価していたし、早稲田の悪いところばかり見えていたんですね。今は早稲田大好き人間なんですけれども!笑」

 

50分くらい経って、授業も折り返しという時に、その方が「学生生活の過ごし方」という項に話題を移して、そうおっしゃいました。

 

「優秀な人だからこそ、分かったような気になって色々なものを上から見てしまうんです。でもそれはとても勿体ない。」

「特にもあそこに落ちてここにいる方に、真摯に勉強を続けることの大切さ、失敗から立ち上がって戦い続ける強さを知ってほしい。今日はそのエールを送りたくて来ました」

 

黙って座って、涙を目にたたえて、こぶしを強く握っていた僕ですが、その内心は今すぐにでも叫びながら立ち上がって話をしたい衝動に満たされていました。

 

彼は続けました。

大隈重信さんがこう言ってます。諸君は失敗する。ずいぶん失敗する。失敗に打ち勝たなきゃならん、と。僕の大好きな言葉です」

 

講義が終わったあと、教壇へ行ってその人に話しかけました。

「自分もかれこれの境遇で、挑戦することに恐怖を感じるようになった」

ざっとこういうことを言うと、その人は、

「そりゃー幸せですネっ! いいですか、失敗はチャンスなんです。落ちた人にしかわからない苦しみを知ってそこから立ち上がる経験はあなたの絶対的なつよさになる。僕は司法試験に合格した後輩にも同様のことをいいます。『落ちた人が知っていることを君たちは知ることが出来ないで通過してきた。そのことに自覚的になるんだぞ』と。拒絶されるという感覚はとても貴重で栄養満点の果実なんです。一度しかない人生、これからまた新しい挑戦をしてください。失敗してもいいから。応援してるよ」

 

その人が拒絶という言葉を使ったことにただならぬものを感じて、一層つよく心打たれました。たしかにあの瞬間は「不合格」というよりは「拒絶」と呼ぶ方が精神実感に即しています。試験のその瞬間に実力が足りてなかった、という意味での不合格に対して、お前の2年間は何の意味も持たない砂の城だよ、と身体の芯まで否定されるような絶望が拒絶だと思う。その人は番号がなかった瞬間を形容する言葉として後者を選び、また拒絶から再起した一人でした。今日の日の救われるような感覚は忘れ難いです。