だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

アスファルトが水に濡れて暗い藍色に染まっている。経年の劣化で生まれたひびやへこみに水が溜まり、今は静かになった爽やかな空を映している。アスファルトの色より、きらきらと揺れる水面の空の青がはっきり明るい。看板がそっぽを向いた薬王堂の背後から、自転車を漕ぐ老人が曲がりくねったその道をよろよろ僕の方にやって来て、効率の悪いカーブを描いてどんどん大きくなる。彼の背後にまだ広がる、驟雨を降らせる暗く厚い雲が、ぽこぽこと穴を空けられそこから日差しが降り注ぎ、階段のように見える。徐々に大きくなる白髪の老人の憂鬱そうな、しかし苦痛に鈍感そうな弛緩した顔と、美しい自然の重なりとを同時に眺めて、僕はなにがしか宗教的な気分になっていた。
遠く離れた街のことを考えざるを得なかった。周囲を見渡しても山一つ無くて、むしろ視線を遮る無骨な高層ビルばかりが乱立していて、いつも曇り空で、風が温くて、様々な音が響きついぞ沈黙が訪れない、あの孤独な街のことを考えざるを得なかった。ここからあの街まで、数字にして600km、新幹線の駅は12、7つの県、そして2秒ほどの時差がある。仮に原爆が国家の中枢を狙って落とされたとしたら、彼らは爆発の光に気づく前に灰燼となって消滅してしまうけど、僕は一瞬だけその死の光の美しさを感じ取ることができる。そのくらいの懸隔が、この町とあの街の間に横たわっている。

 

 

岩手と東京の厳密な時差など知らないけど、勢いで書いたら良い書き出しになったなと思って、紹介したくなりました。 ここまで深刻ではないけど、実家にいて外を眺める時これに近い気分にはなります。