だが万馬券は当たらない

急死したとき遺族にこれを読んで俺の存在を感じて欲しくて書いてる

生存報告

 昨日の面接をもって、就職活動に区切りがつきました。通れば来月もあるということだけど、競争の激しいところなのでそれほど期待はしていません。
 一社から内定をもらっていて、そこに勤める予定です。まあ、こんなもんかな、という感じ。最後まで就職活動になじむことはできませんでした。
 
 んー。特に書けることもないなあ。割と頭は使った。いろいろ経験もした。でもあくまで僕の体験談にすぎない。就活はたぶん個人差が大きいので、あまり知ったようなことは書きたくない。ただ、ないものをあるように見せる作業がうまいことに、どれほど意味があるのだろうとは思う。それが社会で結果として通用している。その事実を受け止めるのに時間が要りそうだ、とは思う。
 あと言えることとすれば、やはり社会のことはちょっと分かる。どんな業界があって、会社があるのか。目に映る社会がいかに支えられているのか。そういうことを知れただけよかったな。
 

進撃の巨人が面白いという話

 正月を実家で過ごしていたんですが、やることがなさすぎて、二日で『進撃の巨人』アニメ50話分を見ました。2期から4期までです。めちゃくちゃおもろかった。

 そしてこの前就活で外に出たので、その帰りに単行本を8冊買って漫画で残りを読みました。なんだか嵐のような展開で、物語に没入するというよりは、うわ今度はこんなことが起こった、次はこんなことが、、、と、むしろ傍観してるみたいな感覚になってました。たぶん作品世界の動きが自分の脳みそを超えていたんだと思います(笑)

 同じような感覚は『カラマーゾフの兄弟』を読んでいた時もあったんですが、いずれにせよ、世の中にこういう作品が生まれるのって本当に素晴らしいなと思いました。

 

 個人的に凄いと思うのは、大きな構造を動かしながら、中期、短期的なレベルのプロットもめちゃくちゃ面白く作ってるところでした。主人公たちの課題や次になすべきことを読者にいつも意識させておきつつ、たくさん出てくる主要サブキャラの掘り下げも疎かにしないで、大きなストーリーの中でキャラ個別の葛藤と超克を描き、そのマクロとミクロの要素がどれも緊密に結びついているという構成、というか離れ業です。そして多分作者先生が相当勉強されているからだと思うんですが、差別や民主主義、戦争などについての哲学が揺るぎなくストーリーの基盤を支えているように感じました。

 

 現在、NHKで毎週日曜の24:05からアニメのファイナルシーズンパート2が放送されています。興味のある方はぜひ見てみてください。(最初から見るほうが面白いとは思います。圧倒的に)

引っ越します

お久しぶりです。タイトルの通り、あと数日で現在の住居を離れ、同じ路線の別な街に引っ越すことになっています。それでなんとなく総括的な気分になったのでブログを開きました。でもまあ、あんまり長くは書かなくていいかな。

 

いま現在、僕は幸福です。色々な意味でそうだと思います。このブログを熱心に書いていた頃求めていた生活はある程度達成されたし、想像していた以上に素晴らしいこともいくつかありました。凡庸ですが、大切な人と日々を過ごしていけることは僕にとってかけがえのない幸せです。高校時代にも恋人はいたけれど、東京で一人暮らしをする中で誰かが自分に寄り添ってくれる心強さは知るよしもありませんでした。

友人にも恵まれたし、自分が確かにそこに腰を落ち着けていると感じられるようなコミュニティも(コロナであまり集まれなかったけど)できたし、そんな紐帯のなかにある自分を意識できるのは僕にとって喜ばしいことです。

 

なんだか世の大学生にとっては当たり前のことばかりかもしれないんだけど、しばらく人との関わり方を見失っていた自分にとって、そんな位置に再び戻ってこれたことは本当に嬉しいし、結構頑張ったねと自分を褒めてやりたい気分でもあります。色々と意識的に言動を矯正した部分もあったから。骨はちょっと折れました。

 

なんというか、自分が結局のところ何を抱えてしまっていたかというと、多分それは「あらゆる物事は解決可能である」というある種の傲慢さだったのだと思います。色々な場面でそう思います。ああ、昔の自分だったらこんなもの唾でも吐いて向こうにやってたな、って。例えば現代でも結論が出ない「貨幣の価値の変動はどこの何から始まり、どう世界全体に波及していくのか」だとか「神は存在するのか」「法とはなにか」「幸福とは? 正義とは? 善とは?」などなど。テーマというのはいっぱいありますよね。あるいは「知とは幸福か?」「再分配は正しいか?」、まあ挙げたらキリがないか。僕はかつて、そういうものについて簡便で独善的で一方的な結論を持ってきてしまうことで自己満足していました。解決不能であるならば、ひるがえって決断の(つまりは捨象の)速さこそが重要なのだという風に。決断できない人間は愚鈍であり、議論は空疎であり、そこから引き出せるものなど何一つない。とにかく早々と結論を出してしまって、それに向けて具体的な方策に移ってしまえばそれが一番いいではないか、と。ネットを見たりしていたからなのか、10代のうちに一度そういう(あえてはっきりと断ずるが)”浅薄な“功利主義のようなものにとらわれてしまったから、自分の中のナイーブな心性との折り合いがつかなかったり、学びを軽視したり、人生のいくつかの重要な機会を失ってしまうことになった。

 

後悔をしているとか、未熟だったと反省しているとか、そういうわけではありません。自分なりに世の中を観察して考えて得た結論だったし、ある程度実効性があったし、自分を奮い立たせてくれるわかりやすい指標でもあったから。でも僕はもう23になろうとしていて、もっと器量の広い、重層的な価値基軸というものを持ちたいなという風に今は思っています。そしてそれはより高いレベルでの「合目的性」と言えるのかもしれない。つまり自分一人が幸せになる、という合目的性を持つことで結局後ろめたさとか迷いとかが生じるのならば、世界の全ての人間が救済される地点を目指すことこそがやはり自他にとって理想的であって、その究極の目的から遡ってものごとを考えていくのが真なる意味での「合目的性」だろう、という、そんな感じです。そしてそんな立場に立とうとして初めて、ドストエフスキー村上春樹や、水島朝穂や、並いる作家研究家宗教者の苦悩の実体に近づけるような気がしています。もちろんたくさん勉強してたくさん世の中を見て、人の話を聞いて、自分でも社会を生きてみて、そんなもろもろからゴリゴリと視野を広げていかなければ土俵にすら立てない話ではあるのですが。なにせ究極の目的ですからね!少なくとも10代の僕だったら、人の話をたくさん聞こうとは思わなかっただろうと思います。それが4年間を通した僕の変化であり、これからの道筋を導いてくれるもので...あってほしい。

 

かなり抽象的になってしまいましたが、この部屋に住んだ4年間と、これからの目標の根底的な部分を話すと、ざっとこんな感じになるのかな。書こうと思えば色々とぐちゃぐちゃ書けるんですけどね、もうそんな歳でもないと思うのでやりません。19から22歳までの時間は、つまりこの部屋で過ごした時間は、決して僕の人生の中で明るい時期ではありませんでした。というよりむしろサイテーな4年間だったとさえ思います。まだ癒えない傷はあるし、クヨクヨ思い返すことも多いです。でもま、サイテーだったから悪いのかといえばそれは違うのかもしれない。この4年間がなかったら、自分の中の傲慢さが否定されず、あとあと大変な問題に発展していたのかもしれない。もしかしたら僕にとって必要な時間だったのかもしれない。

 

とにもかくにも全ては起こったことだし、あと数日で僕はここを出ます。次の部屋で暮らす2年間で自分はどう変わっていくのだろう? それを楽しみに梱包作業を頑張りたいと思います。今年は秋がなくていきなり初冬に突入した感じでしたが(キング・クリムゾンスタンド能力みたいですよね)、くれぐれも皆さん体調には気をつけてくださいね。僕は先日ヒートテックを購入しました。もう一着買おうかとも思ってます。また暇になったら更新します。

 

PS.シュー活はメンドイです。誰か代わりにやってください。

 

 

 

 

新しい作品の準備

ご無沙汰してます。もう2020年も終わってしまいますね。今年はなんだか静かな一年間でした。出会う人間の数が確実に例年より少なかったと思います、多くの人がそうだとは思うのですが。僕はあまり人と関わるのが(特にそれほど仲良くない人と表面を撫でるようなつるみかたをするのが)苦手だし好きじゃないので、こんな一年も悪くないかもというのが正直な気持ちだったりします(笑

ただあまりに人と関わることが少なすぎるのも考えものですね。自分がふにゃふにゃのヘロヘロになってしまってる感じがしてます。好きなもの、好きな人とばかり関係を持っていると、周囲が穏やかになりすぎて僕自身も自然と優しく弱くなっていくような気がする。そうすると社会からピシャリと冷や水を浴びせられた時にうまく処理できなかったりするもんで。

東京に戻ってきてからはずっと、走ったりペンを持ったりしてばかりの日々でした。他にやりたいことも特になくて自然とそうなっちゃいますね。月に一回か二回、大学の友達に会ったりはしてますが、基本一人で部屋にいます。料理や掃除はなぜか徹底してやるようになりました。手間かけて作った料理をvtuberの配信とか見ながら食べてると結構幸せだな〜〜って感じちゃいます。

 

小説の方は、東京に戻ってきてからもしばらく二の足を踏んでいたんですが、やっと最近方針が定まって今はコンテのようなものを作ってます。全5章のうち2章まで終わった(さっき)のですが、なんか結構な分量になりそうです。初めの見立てでは250枚(〆切が来年の3月31日←近い!怖い! なのでそれほど枚数は書けなそう)のつもりだったんですが、2章までのコンテを見る限り力の傾け方次第で300-350くらいまでは膨らんでしまいそう。ゴリゴリ書き飛ばすくらいじゃないとで収まるかちょっとわからない(気がする)

 

色々考えることはあるんですが、まだ若いし、「これ書かなきゃダメだ」って気持ちがあるのだから素直に従おうということで、また実体験ベースの話を書きます。いずれはゼロから構築するものも書いてみたいなと思ってます。

あと短編が書きたいですね。今二つくらい作品の核みたいなものがあるので、今作が完成したらしばらく中編はおやすみして短編で色々実験してみたいなあという感じです。楽しみです。

 

書くのはまあ大変ですし、学業との両立が相変わらずkillingですが、段々自分の執筆について分かってきたし、やりたいことが増えてきてすっごく楽しいです。一作目を書いていた頃はとにかく追われるように捻り出すようにして書いていたのですが、自分の創作のクセが分かってきてパワーの配分に慣れてきました。あとは読み手の視線というのが分かってきて、こだわるべきところとそうでないところの境目が明確になったような気がします。今作はそれでも1作目のやり方を結構引き継いでいて、作業の形があまり変わらないのが退屈なところです。具体的にいうとプロット→コンテ→本文という手順を踏んでるって話なんですが、いずれは頭から書いて推敲しながら進む書き方もしてみたいものです。

 

目標を宣言しましょう。今年のうちにコンテを終わらせ、テスト勉強を本格化させる時期に(たぶん1月5日くらいから)多少でも本文を書き始めていたいです。

試験が終わってから〆切まで64日くらいありますね。僕は大体一日2000-3000文字くらい書くので、2300とすると、単純計算で147000文字となります。そこから疲れたり用事があったりして書けない日を差し引いても、

本編が120000文字だとするとギリッギリカバーできる...笑 

うーん...〆切、なんとかならないかな....

ただ、上記は一作目を書いていたときのスピードですし、一作目がまたひどく書きづらい性質のものだったので、今作なら多分かけようと思えばブーストをかけることもできるのかな、うーん、どうかな、という感じです。まあ言っても仕方ないので明日も明後日も書くだけです。頑張って間に合わせます。村上春樹は1986年12月28日から『ノルウェイの森』を書き始めて、1987年3月8日に第一稿が終わりました。翌月頭のイベントのためにイタリアだかどこかに来る予定の編集社員に渡すために、3月28日に推敲を終えて第二稿を完成させ、結局900枚360000文字の作品でした。三週間ほどの試験というハンデを負ってるとはいえ、『ノルウェイ』の1/3ほどしかない分量の小説を同じ期間で完成させられないわけないだろう? そういうマインドで頑張ります。

 

 

かく

村上春樹しか勝たんになってる。読みやすい。高貴。文体の徹底。

バブル黎明期の日本を離れて西欧で細々と小説を書いていた彼の日々を今の自分に重ねる。僕は何度も敗北したことがある人間で、敗北したことのある人間の言葉を信じます。村上春樹さんは世界に勝ちも負けもないような考えの持ち主かもしれないけど。

ある宗教家の回想録に吐きかけられた唾液

実に三十もの言語に翻訳された詩の作者の私的な関係を暴き出して出版した人間にその父が語りかけたとされる言葉の、とりわけ執拗に多用された「忌まわしい」という形容詞に含まれた7つの相異なる意味についてまとめたと自ら吹聴するゴシップリポーターが夜道で暴漢に襲われた日の早朝に、そうした予定される事件現場を通り過ぎるマラソンランナーのしなやかな両脚の筋肉にも似て強靭なディスクジョッキーの中指に光る指輪のエメラルド、それを通して見る黒い影となった君の姿のファンダメンタルな笑顔と歯列に関連して想起された避けようのない現代人の主題に提供できうる思考のヒント、などと目されながら、ついぞ確証されることのなかったメトロポリスの態様にひそむ静寂にことつけて詠みえる新たな唄にちなんで涙する木枝上の鳥の小さな眼に映る秋の街。